陰山理香:プロフィール English Language Version
1964年(昭和39年)大阪に生まれる。3歳よりピアノを始め、中村幸子、藤井和子、遠藤一枝、遠藤秀一郎、各氏に師事。日本学生音楽コンクール(主催毎日新聞社)西日本大会ピアノ部門小学生の部、及び中学生の部にて第1位。東京芸術大学音楽学部付属音楽高等学校器楽科を経て東京芸術大学同科に進学。専攻のピアノを田村宏氏に、打楽器を有賀誠門氏、ピアノ・ソルフェージュ・室内楽をパリ国立音楽院名誉教授(当時芸大客員教授)故アンリェット・ピュイグ=ロジェ氏に師事。第54回日本音楽コンクール(毎日新聞社・NHK共催)ピアノ部門第3位入賞。翌年、第33回文化放送音楽賞受賞。日本演奏連盟主催ジョイント・リサイタル及び学内モーニング・コンサート(故渡達暁雄指揮)出演。打楽器、弦楽器、管楽器、アンサンブルとのジョイント・リサイタル多数。卒業後、州立ワシントン大学大学院(米国)へ留学。ピアノをベラ・シキ氏に師事。在学中通年、同大学首席奨学生となる。その間、リサイタルにて大好評を得る。
帰国後も、定期的に来日されるベラ・シキ氏のもと、バッハとベートーヴェンのピアノ曲全曲の研究を続け幅広いレパートリーを持つ。一方、有賀誠門氏にリズムを、芸大作曲科の高橋裕氏に作曲技法・理論を学ぶ。15歳の頃より、病名不明の体調不良に悩まされ、渡米直後に 慢性疲労症候群(1・2)、筋繊維痛症と診断される。病と闘いながらも、更に研舘を積み、独自の演奏法を研究、より深い音楽の表現に取り組んでいる。
*その後、2005年「再発性多発性軟骨炎(RP:希少疾患:3.5〜5人 [100万人中])の診断を受ける。専門医によると最初のRP症状発症は1995年との事。1979年(15才)に始まった慢性疲労症候群は演奏家としてのキャリア作りに大きく影響を及ぼし、更に再発性多発性軟骨炎(ベーチェット一部合併:正式名称MAGIC Syndrome)により演奏活動は著しく妨げられているが、この闘病生活のなかでも再起を期すべく、演奏上の曲の分析、解釈などについて更なる研鑽を積む日々を送っている。
**再発性多発性軟骨炎・MAGIC syndrome については現在ウィキペディアを含め正確な情報は日本には存在しない。 [ 上記、リンク先「9ページ」記載の「再発性軟骨炎」を御参照願いたい ]
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推薦〜CD "陰山理香 --RIKA KAGEYAMA --" より〜
[このCDを視聴して ]
まず、驚いたのはブラームスの変奏曲である。 冒頭で言葉を失った。
何と、至福の響きでピアノが壮大な音楽という叙事詩を語っていたからである。
これほどの演奏は聴いたことがない。
詩編62章
わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。
神に私の救いはある。(第一節)
神こそ、わたしの岩、私の救い、砦の塔。
私は決して動揺しない。(第二節)
- がふさわしい。
一演奏家として、私はかねてより日本のクラシック音楽の構造とリズム感に何か違うものを感じ、
30年近くにわたり、音楽の本質は何か、研究・実践してきてその違いを耳と体で感じ得ることが
出来る様になった。陰山理香さんはそれを証明してくれた。構造はすべて下から立ち上げている。
時間軸も常に前に駆動していく。したがって拍感覚も上に向かっていく。音楽の運動エネルギーは
常に上昇していく。彼女の演奏は私という全体を共振させてくれたのである。壮大な音楽を追体験
させてくれたことに心より感謝したい。これ以上言葉による表現を私はさし控えたい。
なにより演奏を聴いてほしいから。
音楽がそこに"在る"。それで十分である。
演奏者の精神力により音楽に精神がふきこまれ、音楽に内在する精神より
演奏者は救いを得たのである。バッハのシャコンヌは圧巻である。「すべて」が純粋に昇華されている。
神の御前に頭を上げただひざまずくのみである。
有賀誠門
リズミスト/東京芸術大学音楽学部教授
不世出の音楽家--------------------------------------------------------------------
陰山理香さんは、私が過去に教授した中でも、最も才能に恵まれた生徒の一人です。
私と彼女との出会いは1980年代初めでした。それ以来、幾度となくこの若いピアニストが持つ素晴らしい
才能こ感銘を受けたものです。後、私の下で研栄を積むため米国・シアトルへ留学した時、その印象は
益々強く響くものとなりました。更にレパートリーを広げ、当地にて幾つものコンサ-トを開き、奨学金の
為のオーディションにも通年、合格しました。
彼女の進歩の速さは、破竹の勢いであります。彼女の奏でる旋律には、音楽性と技巧の間に類希なる
調和のとれた感覚が認められます。それが愛好家、専門家を問わず数多くの聴衆に感銘を与える要素
となっているのです。私はしばしば東京を訪れる機会があり、彼女とのレッスンは帰国後も続いてきました。
バッハのピアノ曲やベートーヴェンのソナタを共に深く取り組んだものです。
このCDにはシアトル時代の演奏が多く収録されておりますので、こうして私見を述べる機会に恵まれました
のは、私にとり、この上ない喜びです。これまで彼女の演奏を聴く機会を得られなかった方々にとって、
日本であろうと、何処であろうと、陰山理香の芸術を知らされん時がきたのだと、私は固く信じておりますo
彼女はコンサート・ピアニストとして、生まれるべくして生まれてきました。彼女白身、機会ある毎に卓越した
才能および種々様々な様式の巧みな解釈を通じて、不世出の音楽家であることを証明してきました。
今回の録音プロジェクトの成功を祈ると同時に、大演奏家への道がこれにより開かれんことを切望しております。
心をこめて
ベラ・シキ
ピアニスト/州立ワシントン大学名誉教授
型破りの優等生--------------------------------------------------------------------
43年という長い芸大在職中、私の教室から巣立った卒業生は数知れないが、その殆どが残念ながら今では
かすかな記憶しか残っていない。しかしその中で、私の脳裏に未だにはっきり残っている何人かの卒業生が
いる。その中の一人が、「型破りの優等生」ともいってよいこの「陰山理香さん」である。
芸高、芸大の七年間にわたった彼女との付き合いの中で思い出される彼女の人間像の一部を紹介しよう。
いつも担任としては実技試験で少しでも良い成績が取れるよう、それぞれの学生に合った選曲を考えるのが
普通だが、彼女の場合、試験の成績などには全く関心がないらしく、いつも弾きたい曲は自分で決めていたので、
彼女は私にとってはまことに世話のかからない存在であった。また彼女は貪欲ともいえる研究心の持主で、
作曲者のピアノ曲以外の作品についても常にその内容を納得のゆくまで調べ上げ、教師の私の方が逆に
教えられる事が少なくなかった。普段からいつも教師の顔色を窺い、すべて寄りかかってくる学生の多い中で、
彼女はいつも、しっかりとした自己主張を持って、ピアノに向かっていたのである。当時の彼女については私は
今もそういった印象を持っている。
次に彼女の先生思いの一面を感じさせるエピソードを話しておこう。それは芸高時代のあるレッスンの後、
「私の命ももう長くないぞ」という冗談半分の私の発言を真に受け、後で判った事だが、そのショックで彼女は
何も持たず、芸高から制服のまま、大阪の自宅に飛んで帰り、「大変!先生が癌になった」と母親に叫んだとか。
すぐ、母親から私の家に電話があり、大騒ぎになった事がある。さすがの私も、その時ばかりは「とんでもない
事を言ってしまった」という反省と同時に「これ程までに私を思っていてくれる学生がいるのか」と胸の熱くなる
思いであった。彼女についてはそういった事があっただけに、その時分から彼女が慢性疲労症候群・繊維筋痛症、
という未だに正しい治療法のない難病に冒されていた事実を後になって知り、何とも残念極まりない、という以外に
言葉がなかった。またそれにもめげず、いつの日にかの快癒を目指して、それ以来現在に至るまで連日辛いリハビリ
を続け、体力の限界まで涙ぐましいピアノの精進に励んでいる彼女の最近の様子を耳にするにつけ、その逞しい
精神力、並々ならぬ執念には心打たれる思いである。
ベラ・シキ教授にも認められた彼女の非凡な才能が、病魔の克服によって、「再び存分に発揮される日の
一日も早く訪れる事」それが私の現在の心からの願いである。
田村 宏
ピアニスト/東京芸術大学名誉教授
「壮絶」の人------------------------------------------------------------------------
陰山理香さんの生は壮絶である。長年にわたる難病との闘いも壮絶ならば、音楽に対する姿勢も壮絶である。
和声学、対位法やアナリーゼに対する飽くなき追求もさることながら、自らのピアノに対する要求の厳しさには
驚きを感じざるを得ない。今回のCDにおいても、「違う、違う」と、マスタリンクまで壮絶なレコーディングを繰り返
したと聞く。彼女のCDを聴く事は、楽しみであるとともに、私も正されることになるのでは、と今から心配している。
高橋 裕
作曲家/東京芸術大学作曲科講師
音楽専門雑誌批評より
[音楽之友社刊・レコード芸術2004年9月号]
筆者:濱田滋郎
すぐれて内容の濃いピアノ・リサイタルである。冒頭のブラームス《ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ》は技術的にしっかり弾き上げられているにとどまらず、各変奏をそれぞれに生かしきる表現づけ、すなわち情緒表出の面も豊かで傾聴させる。全体を通して一種張りつめた感興、気合の乗りが込められていることも、聴きてを惹きつける要因であろう。
つづいてシューベルト《美しき水車小屋の娘》から2つの歌が弾かれているが、これは奏者みずからの編曲によるというだけに、いつくしむような趣が快く伝わる。まして、ブラームスの緊張のあとだけに効果的。次のショパン《バラード》第1番がまた秀演で、とりわけ叙情的に歌う場面の陶酔をおびた美しさには、おおいに心惹かれた。《エチュード》は第2巻から終わりの3曲、すなわち高度な技巧を要する3曲を選んでいるが、これらもエネルギッシュな部分と沈潜する部分の対比をよく利かせて、鮮やかな弾きぶり。《華麗なる大円舞曲》を経て締めくくりはバッハ/ブゾーニの《シャコンヌ》だが、演奏の趣は初めのブラームスと呼応して、音楽的想念とそれを生かす技術の上に確かな調和を感じさせる。
陰山理香は東京芸大を了えたのちワシントン大でベラ・シキに師事したピアニストで、コンクール入賞を繰り返した10代の頃から奇病に悩まされ、こんにちなお闘病中ながら、独自のピアノ奏法を探りつつ鍵盤に向かっているのだという。幸あらんことを!
[
FM-CLUB・2004年9月号]
筆者:福田晃志
全27曲から成るブラームスの変奏曲で始まる意欲的なプログラミング。姿勢の崩れない硬派な演奏。執念ともいえるこの集中力、意志も慢性疲労症候群・筋繊維痛症という難病と闘いながら音楽に取り組んでいると聞けば、快癒を祈るとともに納得もできる。1985年日本音楽コンクール3位入賞後、アメリカでベラシキに師事した中堅。冷静沈着な演奏家との第一印象は、続くシューベルト以降の演奏で吹き飛ぶ。なんて豊かな表情をたたえた音。「彼女はコンサート・ピアニストとして、生まれるべくして生まれてきた」。ベラ・シキが寄せた言葉に再び納得。
[
CDジャーナル・2004年9月号
]
陰山理香は堅実に音楽を納得いくまで掘り下げていくような職人タイプのピアニストのように思う。芸大卒業後の留学先で録音したショパンやバッハにしても、最新のブラームス演奏にしても、一貫して吟味され熟成された演奏のクオリティが実感される。
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2007 by Rika Kageyama.
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